心は「鍛える」ものなのか?
子どもの発達という観点から、「心を鍛える」という考え方について考察してみます。
教育の現場にいると、メンタルが強いとか、弱いとかいう言葉もよく聞きます。
叱咤激励というのも、普通にあって、打たれ強くなるという面もありますが、見たところ、そうではないケースの方が多いといった印象です。特に、運動部でのいじめや、試合のストレスでのメンタル不調などは意外に多いものです。
対戦ゲームも度を超すと、楽しみではなく多大なストレスになっている子もいます。
特に「心身を鍛える」という意味で、スポーツをさせる保護者も多いと思います。そのときに、どう接するのが、子どもの健全な成長発達に望ましいのか、考える材料にしてほしいものです。
そもそも
身体の筋肉ならば、反復トレーニングにより強くなるという考え方は直感的です。
しかし、心(=情緒や精神の働き)は単純に「鍛える」ものではなく、生まれながらにして柔軟性を持ち、環境や人との関わりの中で少しずつ形作られていくものです。
子どもたちの場合、自己調整能力や対人スキル、共感力といった側面は、適切なサポートや温かな関係性の中で育まれていきます。
過度に「心を鍛える」一般的に言うと、厳しい試練や叱責だけを強調する運動部でありがちな、アプローチは、子どもに過剰なストレスを与え、かえって情緒的な脆弱さを生む可能性があるのではないでしょうか。

発達段階における情緒の成長
発達心理学の観点から見ると、子どもの情緒や自己制御能力は、乳幼児期から学童期、青年期にかけて発達課題というものがあり、徐々に発達していきます。
幼少期は、まずは信頼感を得たり、感情を適切に表現する方法を学んだりすることが重要です。(基本的信頼関係)
これに続いて、チャレンジや失敗を体験しながらも、安全な環境で自分自身を振り返るプロセスを経ることで、内面的な強さ—すなわちレジリエンス—が形成されていきます。(安心安全な基地の存在)
ここで大切なのは、厳しさだけでなく、温かみのある環境や肯定的なフィードバックが常に欠かせないという点です.
それらを言語化できることも重要になってくると思われます。
「鍛える」という表現の再考
日本では「心を鍛える」という表現が、しばしば厳しい自己制御や我慢、あるいは苦労を通じて強くなるという認識と結び付けられがちです。
しかし、発達の視点では、無理に自分を抑え込む、または過剰な叱責を受ける状況は、自己肯定感の低下や情緒不安定につながるリスクを孕んでいます。
むしろ、子どもたちが失敗を恐れずに新しい挑戦に臨めるような、適度なチャレンジと支持が併存する環境こそが、「心の成長」には不可欠です。
言い換えれば、心を「鍛える」というよりも、「情緒を健全に育む」と捉えるべきでしょう。

子どもたちの内面強化はどう実現するか
実際の現場では、子どもたちが自己調整や感情のコントロールのスキルを身につけるために、以下のようなアプローチが有効です。
- 安全な環境の提供
温かいサポートや肯定的なフィードバックを通じ、子どもたちが自分を受け入れ、感情を健全に表現できる雰囲気を作ることは、情緒の安定に直結します。 - 適度なチャレンジと失敗の経験
過度な成功体験だけでなく、時に失敗を経験することも、自己反省や問題解決能力を養う上では大切です。失敗を通じた学びが、レジリエンスの向上に寄与します。 - 自分自身を許す力(自己慈愛)の育成
子どもが完璧である必要はありません。自己批判に走りすぎず、むしろ自分をいたわる感覚を育むことが、将来的なメンタルヘルスの基盤となります。
このように、子どもたちの心は過酷な環境で無理に「鍛える」ものではなく、むしろ適切な支援や環境、そして経験を通じて内面的な強さが自然に形成されるものです。

まとめ
発達心理学の視点からすれば、子どもの心は単なる「鍛錬」対象ではなく、周囲の温かい支援と適切な経験によって、自己調整能力やレジリエンスが育まれていくものです。厳しさだけに頼るのではなく、失敗と成功の両面から学び、自分を許し、成長していくアプローチが、真に健全なメンタルの発達を支える鍵となるでしょう。
スポーツに関わる大人は特にこの意識が必要です。
この視点をもとに、今後の指導や家庭、学校での実践にも反映させることが、子どもたちの未来にとって最良の選択につながると考えています。さらなる具体例や、最新の心理学的アプローチについても追求することで、より実践的な示唆が得られるかもしれません。
これらの考察が、子どもの心に対するアプローチを再考する上での一助となれば幸いです。

